火垂るの墓をアニメ化した監督が死去されて改めて注目されているこの映画の感想が子供の頃みたのと親になった最近では全く違う見方になって変化してきたので書きたいと思います。
この映画を始めてみたのは小学生くらいのころで、高校生の頃まで夏のTV映画でほぼ毎年流れていたので観ていました。そのころの感想は戦争の悲惨さや食糧難で尊い命が奪われ、悲しい感情を抱くものでした。
ところが、自分が結婚し子供が生まれ家族をもつようになってからは子供の頃みた感想とは違ってきている自分に気づきました。
どういうことかと言うと、主人公の兄貴が原因で、主人公の節子が死んでしまったのではないかという疑問が生まれてきて、兄貴が元凶なのでないかとう疑問が消えません。
物語の中では、親せきに引き取られ、愚痴をこぼされながらも生活していましたが、文句をいわれるのを嫌がり、兄弟であてもなく出ていき、兄貴が無心して食料を調達しようとしますが、うまくいかずあげくのはてには妹を餓死させてその後自分の餓死してしまいます。
そもそもなぜ親せきの家を自ら出ていったのか?
戦時中の食糧難の中であてもなく仕事もない未成年が暮らせるほど、豊かな時代ではなかったはずなのに。
親せきから毛嫌いされようが、ナゼ我慢して親せきを頼らなかったのか?
頼ってさえすれば妹は命を失くす必要がなかったのではないかいう疑問に変わり、自分が子供の頃観た感想とは変化していきました。
むしろ物語の中の親せきの人たちに同情します。食糧配給の毎日で兄弟二人を引き取りやりくりしていってた訳ですから偉いとさえ感じます。
元凶は兄貴の幼稚なプライドではないのか?
結局大切な家族(妹)の命を奪うわけになるのですから、親せきの家を出て行った兄貴の判断は重罪に値すると思います。
家族を養ったり守ったりすることが一番と考えるならば、己の自尊心など気にする余裕なんかないはずなのに馬鹿野郎!
最近この映画を見るたびに、兄貴の判断が憎くてしかかたがなく、怒りを覚えるようになりました。
兄貴の幼稚な決断がが妹を死に追いやったんだ、親せきにしがみついてつらいかもしれないけどナゼ辛抱して家に留まれなかったのか?
リアルに自分の家族の事としてして捉えると、この兄貴に憤りを覚えます。