今日は祝日の3連休でしたが、親戚の叔父さんに不幸があり、通夜とお葬式の3連休となってしまいました。
火葬場施設が美術館の如くとんでもなく綺麗で豪華な建物だったので、思わず撮りました。
生前とても良くしてもらった叔父さんを見送りながら、投資の出口戦略の事についてもぼんやり想いを巡らせてました。。。
よく天国にはお金は持っていけないと言われたもして、生きている間に使買う方が良いとされてます。
たしかに、たくさんお金を増やせたとしても死んでしまったら一見意味が無いように思えます。
はたしてそうでしょうか。
投資を色々勉強してみて感じていることは、
究極的には社会貢献になっているということです。利己的な使い方ではな利他的な使い方が投資の本質ではないかと思うのです。
だとしたら、無理して投資の出口戦略は無くてもよいかなと思ってます。
現時点ではそう考えているのですが、これから出口戦略がでてくるかもしれませんし、このまま出てこないかもしれません。
投資することにはワクワクしますが、消費することにはほとんど興味が無くなってます。ことさら自分が無駄だと考える消費行動はなおさら出費を抑えます。
良く言えば倹約思考になっています。
投資を通じて物事を考えるようになってからは人生の残り時間についても真剣に考えるようになりました。
そもそもいくつまで生きるかは株価の未来を予測するのと同じくらい不透明ですが、出来るだけ病気や事故を避けて、毎日を普通に送りたいと思うようになりました。
充実というよりは普通に過ごしたいです。
武田 邦彦さんの人生訓;昨日は晴れ今日も朝 が好きです。
文章引用します。
お金を無くしたこと、大失敗したこと・・・すべては教訓だけを残して記憶から捨ててしまいます。捨てることができるコツは「昨日は帰ってこない」と言うことを実感することです.そして、「今日も朝」です。人には自分でできることと、向こうから来るものがあります。自分でできることの典型が「今日一日を過ごす」ということで、向こうから来るものの典型は「死ぬ」ということです。私たちはこの間でもがいているように思えます。・・・・・・・・・昨日は晴れていて、今日に朝があれば、それで充分です。そして長期的な目標に到達するのは難しいのですが、今日一日、生きることぐらいは何とかできそうな気がします。
長期的視野に立って投資の出口戦略の目標を立てるのは難しいです。
でも今日一日を普通に過ごすことができれば十分ですし幸せです。
南無阿弥陀仏。